神岡祭り スカイドーム 洞雲寺 神岡城・郷土資料館 藤波八丁 水 屋 小萱薬師堂
神岡祭り

神岡祭りは、高山、古川と並んで飛騨で三大祭りの一つに数えられています。
高山祭りや古川祭りに見られる一目を引く山車を中心にした祭りではなく、神岡祭りはおよそ千人にもおよぶ豪華絢爛な大行列が見ものです。
以前の例祭は、毎年4月24日・25日に執り行われていましたが、本年より4月第4土曜日に開催され、献幣祭に併せ獅子舞などが奉納されます。雨天の場合は翌日開催。
年に一度、大津・白山・八幡宮各社の神様が里に出られ、町内を巡幸いたします。各氏子の家々からお神酒などが献供されます。巡幸も終わり各社にお戻りになろうとするが、里が楽しく帰りたくない。仕方がなく千鳥足になりながらお帰りの路につく。千鳥足のせいか、少し行ってはすぐ戻りと、いっこうにに前へ進まない。しかし、鳥居をくぐれば決して後戻りできない。
「高い山から谷底見れば瓜やなすびの花盛り」と唱和されながら、ゆっくりゆっくり松明明りの参道をやっとの思いで登り終え、最大の鳥居をくぐるやいなや一気に拝殿へ。
というストーリーをもつ神岡祭りは、なんと行っても25日の神輿を中心とした環御行列。夕闇迫る頃、町内より高張提灯に灯りが灯され、行列は動き出す。行列の長さは700m、動員数約1000人、さながら時代絵巻を見る心地がする。
大中小の神輿をかつぐのは、白丁姿の地元の若者。飲めや詠えやでいっこうに前へ進まない。もみくちゃになりながらようやく参道を登りつめる。神輿は、最後の鳥居の前でしばしの休憩。鋭気を養い、最後の瞬間を待つ。人々は、最高潮に達し、神輿の前では獅子が鶏斗が舞い狂い、まだかまだかと様子を伺う。そして幾分か過ぎた頃、提灯を手にした当番が、高らかに二度三度提灯を回す。その瞬間、周囲に緊迫した空気が流れ、神輿は立ち上がり、我を忘れて一気に拝殿へとなだれ込む。
神楽の心地よい音色が境内に流れ、勇壮な太鼓の響きが聞こえ出す頃、人々は現実に返る。平成15年から、4月第4土曜日(26日)1日間となりました。
今年は前夜祭(25日)が開催。午後7時より本町飛騨信用組合神岡支店前において各社中芸能披露が執り行われます。(雨天:船津座ホール)ぜひ皆様のお越しをお待ち申しております。

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スカイドーム

東大大学宇宙線研究所神岡地下観測所のスーパーカミオカンデの一部を50分の1のレプリカとして展示。
また、スパーカミオカンデとオンラインで結んだモニターでは、実際の解析映像を見ることができます。
そして、ビデオなどによりニュートリノ観測を模擬体験できます。

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洞雲寺(立ちだるま)

だるま堂で知られる洞雲寺。
その奥の院には、高さ16.5mという日本最大の立ちだるまがあります。
観音山の中腹にその見事な姿をあらわしています。

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大坪酒造(造り酒屋)
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神岡城・郷土資料館

静かな山間に開かれた神岡の町をそっと見守るようにして立つ神岡城。
神岡城は戦国時代に、武田信玄の家来、山形三郎兵衛昌景が神岡城を宿舎にあてるとともに、飛騨、越中攻撃の拠点としたものです。
その後、戦乱の世が豊臣秀吉によって統一されると、金森長近が飛騨一帯を支配するようになり、神岡城には城主として、山田小十郎が居城するようになりました。しかし、元和元年(1615)幕府が発令した一国一城という新しい制度により、神岡城は閉城、破却。
現在の城は昭和45年に復元されたものですが、二層三階の天守閣は当初の城郭様式を伝え、壕や石塁なども、当時の遺構をそのままに再現しています。天守閣には、鎧・刀剣・馬具など実際に使用された武具が数多く展示され、一般に公開している。

鉱山資料館
奈良正倉院の校倉造りをイメージした建物の内部には、採取が始まった元禄時代の素朴な道具から、採取、選鉱、精錬、製品に至るまでの、一連の工程模型。そして、神岡鉱山の貴重な資料や珍しい品々がたくさん陳列されています。

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藤波八丁

神岡の中心部にある藤波橋とその上流にある神岡大橋の間800mが藤波八丁。
清流高原川の浸食によって作り出された断崖絶壁は、春の新緑、初夏の藤の花、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の美しい表情を見せる景勝地。
恐る恐る下を覗けば、川底に吸い込まれそうになるくらいの大迫力。断崖上に奉られている八幡宮の名をとり、「八幡地獄」と呼ぶ人も。遊歩道も完備されています。

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水 屋
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小萱薬師堂

鎌倉時代末期に建立された岐阜県で最古の古刹。
古色蒼然とした中に凛とした風格を漂わせ、県の重要文化財に指定されています

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