神岡商工会議所の歴史

商工会からの脱皮(環境の変化)

昭和26年当時日本は、敗戦の荒廃から立上るため大変な苦しみの最中であった。

食糧確保のため、硫安の原料ともなる硫化鉱を産出する神岡鉱山は、国の基幹産業に指定されており、生産する亜鉛の価格は221,000円/tを示す勢いであった。そこに働く4千人を越す社員と発注される工事に支えられた神岡の経済は隆盛を極めていた。

また、折から電源開発の工事も盛んであり、神岡鉱山では金木戸と、見座には共同発電所が建設されるといった具合で経済活動は活発な展開を示した。

日本の大企業が工事のために神岡に入り込んでくるに伴い、商工会へも地元の企業調査はもとより、労働事情、賃金水準物価指標等様々な問い合わせがくるよ うになって、これに対するためには、商工会の業務内容では不都合となり、事業範囲の幅広い商工会議所活動が求められる経済環境となった。

商工会議所設立へ(ハードルを越えて)

経済活動が活発であったとしても、すぐ商工会議所の設置が許可されるというものではなく、商工会議所となるためには次のハードルが横たわっていた。

すなわち、

  • 商工会議所は原則として市制の処に設置が認められること。
  • 既存の商工会議所の分割同意が必要であること。
  • 予算規模が200万円を越える事業を実施できること。

等である。

第1の問題点は、当時神岡町の人口は25,464人であったが、活発な経済活動に支えられて、増加傾向にあった。事実、昭和34年の27,174人までは毎年増加していた。このため、やがて人口3万人を越え市制を敷くことが可能であると信ずる人も多かった。

しかし、町民がどう思っているかで通産省が許可するようなことはなく、政治的な運動の背景と同時に無視できないのは、上宝村との関係であった。当時、上宝村の人口は6,250人で神岡の商工会は両町村を一体のものとして事務を処理しており、神岡・上宝を併せれば、32,000人に近い人口をバックに仕事をしていたので、経済的な面からこれを見れば市制への状況説明が可能であったことが幸いした。

このことは、設立許可申請書に添付されている両町村長の意見書に経済活動の一体性が強調されていることからも推測される。

第2の既存商工会議所の同意については、神岡・上宝を管轄していた高山商工会議所が、総会に於て分割に同意してくれることが必要であったが、当時神岡の経済活動は高山よりも活発なものがあったので、比較的同意を得ることが容易であった。

しかし、上宝の分割については、特に平湯が温泉を持っているため、観光を一つの柱と考えていた高山商工会議所内には大きな抵抗があり、当初の分割同意書には平湯を除く上宝となっていた。 しかし、同一行政区を分割するのは不都合なことは当然であり、行政の指導もあったが、何よりも高山商工会議所の高田弥一郎氏の決断により分割同意が決定した。同会頭にはこの他にも当初設立指導について好意的な対応を受けており、当所誕生の恩人といわねばならない。

第3の事業規模については、当初30周年記念誌の想い出を語る座談会に於て、中村長太郎氏の苦労話の中に専務理事を誰にするか、と予算規模200万円を どうするかに苦心したと語られているが、27年度の経費実績が179万円と、200万円をクリアーできなかったことを見ても、難しい問題であったことが想像される。

商工会館建設の経緯

神岡商工会議所として通産省の許可を得て15年を経過し、業務もようやく軌道に乗り、会員も増加するに伴って会館の建設が話題に上がるようになった。

昭和42年3月22日の予算総会で初めて発言があり、6月24日の決算総会で建築発足の決議が行われた。旧館は、明治44年に普請されたもので老朽化しており、多人数の集会は危険視されるようになったが、土地物件ともに神岡鉱業所の所有物で、神岡商工会会議所はこれを神岡町から無償借与を受けていた。このため、神岡町、三井金属鉱業㈱本社、神岡町議会等への陳情を重ね遂に昭和43年6月25日の神岡町議会で、神岡商工会議所への無償借与が議決されるに及び、建設機運が盛り上がった。

会館建設実行委員会発足

 昭和43年7月5日  会館建設準備委員会開催
   議 題;構造の検討・資金計画・委員会の構成
   出席者;大坪政長・梶山良平両副会頭・老田峰造専務理事・住田広吉・
        中島長作・大坪安平・中山金平・池田良喜・古川忠一
   委員長;会頭
   副委員長;副会頭及び専務理事
   委 員;常議員・監事・部会長
 昭和43年7月10日  建設許可申請書提出
 昭和43年7月12日  第1回商工会館建設実行委員会開催
   議 題;商工会館建設趣意書発送
        会館設計図面の確認
        工事入札者の選択
        工事金の支払い方法
        起工式

小林組、本体工事を受注

  昭和43年7月26日  工事現場説明
    小林組、池田工務店、中山組、大五建設、宝興建設が説明を受けた。
  昭和43年7月27日  小林組入札  落札
  昭和43年8月1日   定例役員会  入札結果報告
  昭和43年8月31日  地鎮祭執行
  昭和43年11月25日 棟上式 執行
                        建設委員会 10回開催